私が団体職員を辞めた理由・・・

黒 ADHD体験記

団体職員といえば、楽というようなイメージを持っている方が多くいると思います。
しかし、団体職員は国の税金と自己の収益で事業の資金を回していますので、民間と公務員の悪いところを詰め合わせたような職場もあります。
居心地の良いところと悪いところがあるので、しっかり業界分析や会社の口コミ等を参考にするのおススメします。
ネットで見ると、かなり楽な団体職員もあるみたいです。
前回の記事はこちらから読めるので、是非読んでください。

私の2社目の会社について・・・ | ADHDリベンジャーズ (adhd-revengers.com)

支社での勤務

私が配属された支所は5名で人数が少ない職場でした。課や係等の部署はなく、全ての事業を5人で回さないといけません。私の担当業務は前任者が担当していた業務をそのまま引継ぎことになりましたが、引継ぎ書類の日付が2年前の日付が記載されていました。私は頭の中で「???」が脳内を駆け巡りました。おそらく、「前任者が仕事を飛んだ・・・」と思い、引継ぎ書の足りないところは書庫に保管されているファイルや前任者のパソコンからデーターを参考にし、前任者の業務を把握しました。
→他の職場の職員の方にも前任者の業務担当を聞きましたが、知らないとのことでした。ここでも縦割りの業務で内心冷や汗が止まりませんでした。

話を元に戻します。
私の業務内容は支社の地域で行うイベント運営・公的書類の作成・金融融資・保険営業等でした。いや、総務課の時より業務内容増えすぎ(´;ω;`)退職前の上司(以後上司Aとします)は定時で帰りますが、他の職員と私はサービス残業をしていました。帰るのはだいだい21時から22時の間でした。仕事がどうしても終わらない時には、代休も賃金も出ない土日も出勤していました。激務&激務でおかしくなっていました。

支社での活躍

私は書類作成の数字・誤字脱字のミスやイベント業務のスケジュール管理はかなり苦手で上司Aにはよく叱られていました。しかし、イベントの企画案や保険営業では自分で自分を褒めるのはどうかと思いますが、かなり成績は良かったです。保険営業では常にトップ5は維持していました。その理由は、日ごろから保険対象者にこまめに連絡を取り、プライベートを使って対応したので、保険の営業成績は常に上位でした。若手の中では断トツでした。インセンティブはありませんでしたけど(´;ω;`)

また、従来のイベント業務を一新しました。上司Aは「わしの業務やないから好きにして・失敗したら自分でケツ拭けよ。」でした。業務の相談をしてもこんな感じでした。SNSを活用したイベントの告知等も行っていたので、良い勉強になりました。過去最大の売上と来客数を記録しました。
上司Aは「若い人が仕事をするのが美学」という謎の考えをしていたので上司Aの仕事もなぜか私がしていました。上司Aは業務中にも関わらず、昔の武勇伝を私に語っていました。簡潔に言うと、
・儂は県庁に殴り込み行った(興味関心がなかったので内容は覚えていません)。
・嫌いな職員を辞めさせた(その職員だけ別の部屋で隔離したそうです)。
・関係団体は儂のいうことは聞く(相手の方が年上の上司Aに対して大人の対応をしているだけ)。
みたいな内容です。はっきり言って「私の仕事を妨害している」としか思っていませんでした。

上司Aが変貌

この上司Aも私が挙げた功績は自分の手柄にして、本来、上司Aが行う業務を私に押し付けた業務のミスには執拗に叱ってきました。※ちなみに業務マニュアルももらってないですし、具体的な指示も一切ありませんでした。上司Aからは「こんな業務もできないのか?・当たり前のことができないのか?」等の人格否定もありました。上司Aとのやり取りで一番難解だった出来事がこちらです。
上司Aが関係団体の方と電話で話していた際、私は私の業務に取り掛かっていました。締め切りが近い公的文章を作成していたので集中していました。上司Aは電話が終え、私に「今の話聞いていただろう?わしはこれから有給やから、代わりにしとけ。」と・・・私は予想していない言葉にフリーズしてしまいました。
私は、上司Aに「自分の業務に集中していたので、上司Aさんの電話内容は聞いていません。」というと、上司Aは激怒して「お前は使い物にならん。もう一度、電話して話を聞け。」と言って帰っていきました。
他の職員も我知らずと各々自分の仕事をしていました。まさに孤立無援とはこのことです。その後、上司Aと電話で話していた方に謝り、再度内容を伺いました。

その仕事はうまくいったので良かったですが、上司Aの思考回路が意味不明でした。
異動前の上司との人間関係の悪化を防ぐために必死で怒りを抑えていました。
それから、徐々に精神的にも肉体的に疲弊してしまい、睡眠をとることが困難になり、些細なミスがさらに増加しました。

精神科へ

私は徐々に私自身を責めるようになり、どんどんネガティブな思考が芽生えました。その時に、YouTubeで発達障害の動画を見て、精神科に通い始めました。初めは精神障害の検査をいきなりしたのではなく、主治医からメンタル面を心配され、「うつ病・適応障害」の検査を行いました。どちらも診断が下るまではいかなかったですが、睡眠安定剤はその時にもらいました。それからぐっすり寝むれるようになったので良かったです。

その後も、上司Aからの理不尽とその他職員にもなぜか煙たがられてしまいました。
ADHDの診断が下りて、今までの違和感の招待の原因が判明して私は安堵を覚えました。そして、ADHDを理由にこの職場から逃げることが出来る思い、退職を決意しました。
※この職場は退職者が多く、辞めることが困難な環境でした。

職場でADHDを告白

私は上司AにADHDを告白し、退職届を提出しました。しかし、退職は受理されませんでした。現在行っている私の業務について私の代わりの誰が行うのかという問題に発展し、なかなか進退が決まりませんでした。ADHDを告白した後の職場の居心地は最悪でした。私の業務ではない業務の押し付けや前任者のように逃げられて引継ぎ書がない状態を防ぐために引継ぎ書の作成を強要してきました。
この地獄を耐えるために心を無にして働きましたが、上司Aや他の職員の陰湿ないじめに耐えていました。時にぶち切れする時もありましたが何とか乗り越えることができたので良かったです。何を言ったかは覚えて無いです。
職場の最終出勤には上司Aや他の職員にもごちゃごちゃ言われましたが、この人たちとは金輪際、関わることがないと思ったので、満面の笑みで返し、職場を後にしました。

あとがき

会社を退職できた日は、かなり清々しい気分でスキップしながら帰った記憶があります。上司Aのおかげで、仕事のスキルや経験値を人の2倍以上経験することが出来たので良かったです。あんな職場はそうはないと思いました。社会人として成長できたと信じています。今は、私を否定した上司Aとその取り巻きをギャフンと言わせるために自己研鑽を積んでいます。この職場ではかなりの人数が退職してなかなか定着できないみたいです。何回も求人募集しています。
※閉鎖的ですし、若手にとっては苦痛そのもの。
次の職場では、しっかりとした下調べやネットの口コミ等も参考にして、幸せになります。皆さんも危なくなったら、自分を第一にして下さいね。

会社の従業員の代わりはいくらでもいますが、私の代わりはいないんだから・・・

時には逃げることも大切です。

そして、再起を図るために力を蓄えましょう。

最期まで、読んで頂きありがとうございました。

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